時代の波乗り日記

いくつになってもふらふらっと生きている男が気になったニュースや日々抱いているギモンにガツンと言うつぶやき型問題提起ブログです。

いまの自分論

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遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

2015年になりましたがみなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

私、年末から3日頃までは四六時中、正月特番を見ておりました。

しかし、スマホアプリのCM多すぎやしないか?

 

ってことで本題です。

これまたテレビ番組のアナザースカイを見ててふと思ったことなのですが、

「いまの自分を見て欲しい」と言うゲストの森星さんがすごく眩しく見えた。

 

森泉の妹ちゃんでモデルの森星がアリゾナを訪れる。

というのもそこでおばあちゃんと幼少期を過ごしたとのこと。

大好きだったおばあちゃんはつい最近亡くなってしまい、日本で仕事をしている森星は最期の姿も見れずにそれ以来一度もアリゾナに訪れてはいなかった。まだ愛するおばあちゃんが本当に天国に行ったのか信じられない状況で、今回の旅を通しておばあちゃんにお別れを告げることにした。

昔おばあちゃんと暮らしていた家は当時のままで、おばあちゃんがサプライズで出てくるんじゃないか。おばあちゃんの姿は彼女の頭、心の中に存在し続けている。

 

ちょうど彼女はいま仕事で悩んでいた。

でも、いまはもう悩み事をすっ飛ばしてくれるおばあちゃんはいない。

でもきっと乗り越えてみせる。そう誓った彼女は先住民の伝統儀式を経て汗を流し心機一転をはかった。

 

悩み事なんてちっぽけなものだ。前よりも強く美しくなった今の自分を見て欲しい。

なんてこと、みなさんは大切なあの人に伝える事ができるでしょうか。

 

小学生の頃にお世話になった先生、

親身になって相談に乗ってくれたおじさん、

どこの誰かは分からないけどネット掲示板でアドバイスをしてくれたあの人。

 

そんな自分の人生の大切な場面に少しでも関わってくれた人たちに

胸を張っていまの自分の姿を見せられるでしょうか。

 

ひょっとしたら、あなたの事を忘れてしまっているかもしれない。

でもきっと、堂々と胸を張るあなたの姿を見てニコッとしていることでしょう。

 

自分が一体何者なのか迷子になってしまった時、

そんな事をふと思い浮かべてみるといいのではないでしょうか。


画像元 
http://www.dailymail.co.uk/femail/article-2005586/Lose-reflection-gain-better-perspective-Nine-women-hate-looking-mirror-happens-stop.html

クリスマスソング論

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もう今年も残すところあとわずか。みなさま今年のハイライトを振り返ってることでしょう。
街はクリスマス、学生も会社員さんたちも冬休みに入った方は多いと思います。

そんな年末最後の行事であるクリスマスに浮かれる街のBGMは毎年決まった曲。
彼女も家族もいないけど、なぜか不思議とワクワクした気分になるのはまだ心が子供だからなのだろうか。パブロフの犬のように12月に入るとご褒美がもらえることが植え付けられているからなのか。植え付けられているというか、幼い頃のクリスマスが良い思い出として残っているからだろう。

話の枕はこの辺にしておいて、クリスマスソングのお話です。
テレビやラジオをつけてもショッピングセンターに行っても聞こえる、もはや逃げ場のない状態。
ここまで追い込まれた状況になると、「これは陰謀なのではないか」と陰謀論を持ち出す始末。

で、思ったわけです。きっとクリスマスソングを聞くと多くの人の財布のひもが緩くなるのだと。
その仮説はきっとすでにデータで立証されていてどこかの学会で発表されているのだろう。
そしてそれを聞きつけた商人たちはこぞってクリスマスソングを店内にかけた。
効果抜群だったのだろう。
しまいには11月初旬から流してしまう愚行に出る。

毎年冬にそんな曲たちを流されると、脳にインプットされる。
『12月 ⇒ 寒い ⇒ 雪 ⇒ クリスマス ⇒ 山下達郎 ⇒ フライドチキン』
これが条件反射によって12月, 寒い, 雪,  クリスマスのどれを取っても = フライドチキンという方程式が成立するようになる。
パブロフの犬で言う所の『ベルを鳴らす ⇒ エサを与える ⇒ 犬がよだれを出す』
という工程がベルを鳴らしただけでよだれを出すということと同様である。

クリスマスにワクワクしている我々は所詮パブロフの犬なのだ。
様々な企業によって操られている。
ただ、そのベルの役割をしているクリスマスソングがマンネリ化している。
毎年毎年同じ曲ばかり。
ここ数年、クリスマスソングのヒットソングが出ていない気がする。

歌手の皆さん、
来年はクリスマスソングで、一発大きい花火、咲かせましょうや!
タイアップ、バンバン来まっせ!

まあこんな文章は記憶からとっとと消し去ってくださいませ。
ではみなさま、素敵なクリスマスをお過ごしください!
HAPPY CHRISTMAS!!!

画像引用元
http://bowienewsonline.com/2014/12/family-christmas-games-or-activities/

電気論

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先週、北カリフォルニアでは冬の嵐が吹き、天候が荒れ広範囲に大停電が広がりました。
我が家では一日中電気が使えませんでした。
冷蔵庫は機能停止し、冷凍肉たちは自然解凍された。インターネットは繋がらないし、携帯の充電もできないから電池が切れたらおしまいという状況。ご飯を作ろうとしても、IH調理器は動かないし、もちろんご飯すら炊けない。
IT界のメッカであるはずのサンフランシスコでは、未だに第三世界のような不安定なインフラ整備なのです。台風みたいな暴風も吹いてるわけでもないのに、なぜこんな事態が起きてしまうのか不思議でしょうがない。

で、今回の本題ですが、
そんな大停電の夜に思った電気のスゴさについて語ろうと思います。

電気ってそもそも最初は電球に灯りがつくだけのもの。それがどういうわけか、今や世界中の情報を集められるものになっている。iPhoneだってiPadだって、遠くから画面を見たらただの"光"。でもそこには大量の情報が乗っかっている。アメリカの大統領選挙速報だったり、地球の真裏で行われたサッカーの試合結果、友達からのメッセージ、書店で見つからなかった本。自分の考えを綴ったメモ。
光には無限の可能性が宿っていることに人間は気付いてしまいました。
そして普段何気なく使っているWi-Fiは肉眼では見えない電波を使って、世界中の情報を一瞬で届けることができる。本当に不思議。

ただ、電気が使えなくなってしまったらそれらの物はひとつも動作しなくなる。人間のエネルギー源が食べ物や水分であるように、電気製品は電気がなければ死んでしまう。


やばい、何が言いたいのかわからなくなってしまった。
ここで終わります。。


画像元
http://muryou-kakeibo.drwallet.jp/3694

年老い論

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今日、12月9日に24回目の誕生日を迎えた自分が年を重ねることについてどういう心境でいるのかを書き残しておきます。

昨日までの段階では、「あーもう24かー。思ってたよりも成長してへんなー。人生ってこんなもんか。」何て思ってた。なんだかんだで特別な思い入れのある人、であり、母親から性を授かったことに改めて感謝する大切な日である。

さっきiPhoneを確認したら、Facebookメッセンジャーで父親からメッセージが来ていた。後で読もうと、まだ内容は確認してはいないものの、最初の2行分が通知段階でネタバレ的に見えてしまっていたのだが、それは誕生日のお祝いコメントと、もうそんな歳になるのかという感嘆の言葉に加え、来年にはなるが25歳は父親が母親と結婚した年であったということが綴られている。

気付けばもう

そっか気づけばもうそんな年なのか。24年生きた本人はなんか簡単に「24かー」ぐらいの感じでとらえてたけど、産んだ本人からすれば、「あんなに小さかったのに、大きくなったなー」と当たり前だが、客観的な感じ方である。

確かに、「あの人に出会った初めてのホームステイ体験からもう10年になるのか」とか「もうあの番組が10年前なのか」って感じることが増えた。そう感じるようになったのも、10年前の時点でもう物心がついて自分で物事を考えて行動し、たくさんの記憶がすでにあるからだ。14歳の頃の10年前となれば4歳、その頃の記憶なんてほとんどないし大きな変化もなかったことだろう。辿れる記憶が増えたからこそ、「あー、もう自分はこんな歳なのか」とう感情が生まれるのだろう。

想像できない未来

いつも思うことだが、10年先のことは全く想像できない。5年後、5ヶ月先ですら自分がどう生きているのかわからない。それは14歳の頃から変わってない。その当時だって24歳の自分のことなんてどうなってるのか全く見えていなかった。ただ「スーツを着て、バリバリ働いてんのかなー。」とか「結婚してたらいいなー」ぐらいの感じ。別にとんだ災難があったわけでもないが、いま生きているのも奇跡に思えてきた。だって14歳から24歳までの途中の出来事をすっぽかして考えると、想像できてなかった未来を現在に生きてるのだから。

人生計画は必要か

19、20歳の頃、孫社長に憧れて「人生60年計画」をたててみた。「20代には大学卒業して独立して起業する」などなど。まだどの計画に対しても絶望的になったわけではないが、その表が日に日にただの希望的観測に見えてきたのだ。夏休みの宿題を始める前に書かされた「この日までに宿題を終わらすには、この日にこのドリル◯ページやって、次の日には違うドリルを◯ページやれば、新学期始まる前に焦ることはない!」みたいな計画によく似ている。そんな計画通りにいった試しがない。夏休みの終わりに焦ってるのが風物詩。計画が1日でも後ろ倒しになると「やっちゃったー」とズルズルと遅れに遅れていくことになる。そして、早い段階で計画表は全く意味をなさないものになった。希望的観測が叶わなかった度に落ち込むことになった。
そんな人間ならもう、人生計画なんてもっともっと大雑把なものでいいんじゃないか。ふっきれた言い方をすれば、自分に期待しすぎて落ち込むなら、いっそ期待しないで生きる方人生の方が気楽で心から楽しめるんじゃないかと思う。

画像元
http://www.reliablecaregivers.net/wp-content/uploads/2014/04/aging-myths.jpg





ラジオ論

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12月6日放送の「福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル 魂のラジオ」のエンディングで来年限りでの番組終了が福山さん本人から伝えられた。

ショックすぎる。

魂ラジを聞き始めたきっかけは、2010年に放送されていたNHK大河ドラマ「龍馬伝」だった。留学を始めて1年が過ぎた頃の私に、福山雅治さん演じる坂本龍馬はすごく刺激的だった。

ふとYouTubeで龍馬伝と検索してみると、魂ラジで福山さんが近藤正臣さんが演じた容堂公のモノマネをする音源が見つかった。それがすごく面白くて、噂には聞いてたけどこんなラジオだったんだ!と、毎回YouTubeでラジオ音源をアップしてくれる方の力を借りて聞き始めたのが魂ラジとの出会いだった。

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それをきっかけにたくさんのラジオ番組がYouTubeにアップ(違法ではあるがラジオ業界は正式に味方につけるべき媒体)されているのを知り、ここで「ナインティナインのオールナイトニッポン」に出会った。なんだこのヒドい下ネタのオンパレードは!ラジオならこんなの放送できるのかという驚きとともに、下ネタのおもしろさに改めて気づかされた番組だった。

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そんな「ナインティナインのオールナイトニッポン」も今年の9月で放送を終了してしまった。岡村さんの突然の休養という大ピンチの中、やべっちはしっかりと番組を守りきった。最初のどなりで「今日もやべっちひとりかー」と最初は残念に思っていたものの回を重ねるごとにおもしろいラジオにしてくれた。めちゃイケの岡村さん復活の回ではバラエティー番組を見て始めて嬉し涙が出た。

ラジオは一人でいても一人じゃない気分になる。隣で一緒にしゃべって笑い合ってているような感覚。そして、テレビ番組とは違ってより個人的な内容の話がされることが多いため、パーソナリティーたちとの距離感がすごく近く感じられて、番組への思い入れが深くなる。

それがラジオの強さ。

だからこそ終了の知らせほど悲しいものはないのだ。しかも、ラジオの楽しさを教えてくれた番組が立て続けに終わるなんて。今週の放送で福山さん自ら、番組終了についての真相を発表するようなので聞き逃せません。

ニッポン放送ってこういう時いつもスペシャルウィーク(聴取率調査週間)に被せてくるんだからっ。。。(笑)


画像元
http://trendnews.yahoo.co.jp/archives/112297/
http://allnightnippon99.blog49.fc2.com
http://www.1242.com/program/mthonsp/


続・好きなことやれ論

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先日購入した「プロ論。【才能開花編】」という本を三分の一ほ度読み終えて、素晴らしく濃厚な内容の本なので紹介します。

この本では総勢54人の様々な分野において第一線で活躍している人たちが、
どのようにして適職に気づき、才能を開花させていったのかをそれぞれが語るインタビュー集。

大きく7章に分けられている。
第1章「自分将来に不安を感じたとき」
第2章「向いてる仕事がわからないとき」
第3章「仕事お面白くしたいとき」
第4章「才能があるのに認められないとき」
第5章「誰もが注目する作品を生み出したいとき」
第6章「何をやってもうまくいかないとき」
第7章「前例のない仕事を成功させたいとき」

竹中直人、森永卓郎、矢口史靖、石田衣良など様々なジャンルで活躍しているプロフェッショナルな方たちの貴重なエピソードが語られている。普段メディアではあまり語られていない上に、これだけ大勢のプロフェッショナルたちの仕事術が聞ける、ものすごくお買い得な一冊である。

第1章「自分将来に不安を感じたとき」での、元内閣特別顧問という経歴を持つ作家の堺屋太一さんの言葉を引用したい。
やっぱり人間は好きなことをするべきなんです。ただし好きなことを見つけるのが実は難しい。
20代で見つかるなんて思っちゃいけない。スポーツ選手は若くして決めますが、凡人は30歳までわからないと思った方がいい。
20代はともかく辛抱する。そして好きを見つけたいと思い続ける。興味を持ったら、一人で試してみる。誰かと一緒にやってはいけません。一緒にいることが好きなだけかもしれないから。

そして好きなことをすると同時に伴う不安についてこう語る。

不安もあるかもしれない。でも、不安というものは消えないんです。
好きなことをすれば、楽しさと同時に世間の風当たりと将来の経済が心配になります。
就職における最も危険な間違いは、好きかどうかではなく、有利かどうかで選んでしまうことです。花形産業は移り変わる。目先のことにとらわれてはいけません。
好きなことをやらないと必ず後悔します。わからなければ探し続けるんです。好きを探すことこそ、人生で一番の仕事なんですよ。

とりあえず好きだと思ったことを恐れずにやってみる、ダメだったらそれまでということで、また違うことをやってみれば良いのだと。


ここでもう一つ本書から、経済アナリストの森永卓郎さんの言葉を抜粋する。

(仕事において、この道一筋でなく、いろんな活動の可能性を残しておくことを) 難しく考える必要はありません。私はこれを「夢を持つのはやめなさい」と表現しています。
「いつか、これをやろう」「やってみたいと思っていた」を禁句にするんです。思い立ったら、すぐにやる。趣味でも興味を持った仕事でもいい。思いついたら、さっさと始める。そうやって広げた芽が運を呼び込む可能性を高め、リスクをヘッジしてくれるんです。


悩みの根底には必ず「自分のやりたいこと」がある。それに反した状況だったり、やりたくてもかなわない状況だったり、踏み出す勇気がないから人は悩む。

これを乗り越えるにはとりあえずやってみるのが最も適した策だとすれば、

それがサントリー創業者である鳥井信治郎さんが残した「やってみなはれ」という言葉に込められた本当の意味だったのだろうか。


画像元
http://www.suntory.co.jp/recruit/fresh/

レジ進化してない論

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スーパーのレジって登場以来あんまり進化してない気がする。

バーコードに書き込める情報量が増えたり、
どんな年齢層の男女に人気なのかというマーケット調査にすごく役立てるような発展はしたのかもしれないが、
それって、消費者にとっての進化じゃなくて、あくまで販売側目線の進化でしかない。

我々、お買い物する側の人間はもうレジでならびたくないですよ。
コストコみたいに一回で大量に買い込む人が多い場所で一つずつスキャンしてる場合じゃない。
アメリカ人なんて、普通のスーパーでも異常な量買い込む人いますから。

カゴを置けば一瞬でスキャンしてお会計してくれるほどの技術は十分にあると思う。
iPadさえあれば打ち込む手間もなく一瞬でお会計!なんてアプリが出てもいいと思う。

こんなT芝さんのどう見ても高そうなレジ機を導入する必要なんてないですよ。
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というか高すぎて誰も導入してないから、普及してないのだろうけど。

有能な開発者の皆さん、いまアプリ作るならレジスキャナーです!
うまくいけばSquareと手を組んでレジ業界の覇者ですよ!
お願いします、作ってください!

画像元
http://gasoku.livedoor.biz/archives/52037042.html
https://www.toshibatec.co.jp/products/retail/catalog/detail/is910t/