時代の波乗り日記

いくつになってもふらふらっと生きている男が気になったニュースや日々抱いているギモンにガツンと言うつぶやき型問題提起ブログです。

死後の世界論

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死んだら自分はどうなるの?
人間の永遠のテーマである。

死後の世界は本当に存在するのか、生まれ変わることなど本当にあるのか。
そう考えていると夜も眠れないどころか、
寝たら永眠してしまうのではないかと怖くなってしまう。


人間から死体へ

死んでしまったら人はもはや人間ではなくなり、
突然と気持ち悪がられる死体となる。
冷え切った体にある穴という穴に綿を詰められて
なんかよくわからない木の箱に入れられて
そんな姿を見て、生前にお世話になった人の悲しむ姿を見せられる。

やがてそんな気持ち悪がられた死体は、火葬炉で焼かれて骨だけになる。
そうなってしまえば、いくらあがいたって、
もう自分なんてものは消えたも同然な気がする。

「死んだら結局人間は無になるのだ」
そう思っていたが、情報技術が発達するにつれて、
それが覆されるのではないかと思うようになってきた。


ITで変わる死後の世界

2010年に大ヒットした「アバター」とか「サロゲート」のような世界。
今すぐにでも現実になると思う。

Oculusみたいなヘッドマウントディスプレイつけて、
ゲームの主人公に自分の意思を伝えて、
現実世界とはかけ離れた特殊能力を持って他のプレーヤーと協力して生きていく。
ゲームの中で生きる人の人口が増えて、
その世界の中で実際に会話してコミュニティーができれば
それはもはや現実世界と呼べるのではないか。

ゲームは全く現実とは離れた時代や場所に設定されているかもしれないが、
それがGoogleマップが舞台になって自分がその場に入れるような感覚を味わえるようになれば、
それはバーチャル(仮想)の世界ではない。
それがさらに進化させてAR(拡張現実)技術を用いて
いつもの景色がスクリーン越しに見ると、自分の理想郷にできる。

「安堂ロイド」とか「トランセンデンス」みたいに
自分の精神、魂はデータで管理しておけば、
肉体は死んでも「自分」という人間は存在できるのかもしれない。
肉体だってこまめに成分のデータのバックアップを取っておけば復元可能だろう。


睡眠時は誰もが死んでいる

死んだらどうなるのか。
このテーマに戻るってみたい。
いまの私の考えでは「無になる」のが結論。

それはなぜか。
睡眠時は死んでいる状態と変わらないと思う。
いくら心臓は動いてようが、脳波が出ていようが、
夢を見ている時間以外、寝ている間に自分の世界は存在してない。
これが「死」なのではないか。


人はテレパシー能力を手に入れた

人の考え、想像のほとんどが他人に伝えることなく自分の頭の中で留められている。
それをできるだけ保存しようと、人はその想いを筆に乗せて書き残す。
それが今ではブログや様々なSNSを用いて一瞬にして世界中に発信することができる。

想いは目に見えない。
虫の知らせだって目には見えないけど、人は感じ取る能力がある。
インターネットを繋ぐ電波だって目には見えない。
けれど、PCやスマホという道具を使って
「電波に乗せられた人々の発信する情報」を理解する能力を身につけた。
こんな不思議な技術を人間は手に入れた。
そしてこれは、もはやテレパシーと呼べる。

いまは主に文字、動画、音楽のメディアがあり、
どのメディアにしても、手(キーボード)を使わずして電波に乗せることはできない。
それが脳波を分析するだけで脳にあるイメージをそのままコンピューター上に出力できる技術が完成したら、それはSFの世界のテレパシーの完成型である。


「虫の知らせ」は存在する

この空気中には電波以外にも色んな波がある。
音、匂い、喜び、悲しみ。
音や匂いは数値化できるけど、
人間の発する喜びや、悲しみはどうもデータ化できない。

そしてまだ解明もされていない「虫の知らせ」というなんだかよくわからない波。
この次元にたくさんの可能性があるはずだ。

死んだら人は無になるとは言ったものの、
それはこの「虫の知らせの次元」が解明されてそれを出力できる技術が完成された時、
死者の想いを受信できるのではないかと思う。

この世界にはまだそれを受信する機械が存在していないだけなのだ。
きっと亡くなった人たちは脳派以外のなにかを通じて送信し続けている。

ついでに背後霊も亡霊も呪縛霊も見えてしまうかも。。



影響論

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2014/11/02 09:00
いくら一匹狼の人でも、人は必ず影響されて生きている。

好きなもの、嫌いなもの、喋り方、容姿、考え方。なんだって必ずそうなるに至った過程で影響を与えた人はいる。 

 

簡単な例を挙げると、私はサザエが苦手だ。

苦手な理由は、あの独特な磯臭さと見た目のグロさが嫌だからだ。

ただ、食す以前にサザエに対する刷り込みを与えた人物が母親だ。

だいたい母親が苦手な食べ物は子供も嫌いになると思う。

そもそも母親が料理を作る家庭なら、母親が苦手な食材や料理は作らない可能性が高い。そして、母親が嫌いなものは美味しくないのだと軽く洗脳されているから食わず嫌いになる。 

 

 

なので、好きこのみは人に影響されることはあり得る。

これは偏見なのかもしれないが、トマト大好き女子が異常に多いと思う。

これは、「味が美味しいから」という理由で好きなのは半分もいないのではないかと疑っている。ではなんなのか。「健康に良い」というレッテルが貼られているからに違いない。多くの雑誌やテレビ番組でトマトの栄養成分が取り上げられて、世の女性たちは「トマト=女子力アップには欠かせない食べ物」だと洗脳される。「自分が好きだから食べている」のではなく、それは実は人にコントロールされた結果だとしたら。。。 

 

 

喋り方だって親に似るパターンが多い。

そして、よく遊ぶ学校の友達、会社の同僚、好きなお笑い芸人の言葉のチョイスやリズムを知らず知らずのうちに自分のモノにしている。

Tシャツとジーンズでスティーブ・ジョブズのようにシンプルで無駄がないプレゼンをする人にもう飽き飽きしている人も多いだろうと思う。そして、彼の影響で企業ブームが巻き起こったのも当然の流れである。もっと身近なところでいうと「松坂世代」「花の82年組」日に日に増加する「YouTuber」たちもお互いにライバルとして影響し合った結果のことなのだろう。 

 

 

自分の脳みそひとつでひらめいたアイデアなんてものはこの世に存在しない。

過去の偉大な人物の発明を調べたり、他人の意見を聞いてやっと形になるものだ。

新聞だってテレビだって、バイアスはかけないように気をつけていても、筆者やコメンテーターは自身の意見を元にその話題について話をする。なのでそれを見聞きした人たちは彼らの意見に影響される。 

 

 

あの人が自分の人生の中に登場した時点で我々は少なからずその人に影響される。

その中で影響されるべきものと、影響されてはいけないものとをきちんと自分でフィルターをかける能力がひつようになる。そのフィルターを作るのは自分であり、それが人生を左右する。

今まで、何に影響されて生きてきたのかを分析すると、自分はどんな人間なのかを知る一歩になるかもしれない。 

アメリカ若者論

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2014/11/01 17:49

ハロウィンについての書いたついでにひとつ。

アメリカにはどう考えても若者の娯楽が少ない。

大体のお店は10時で閉まって街は静まりかえる。アメリカには朝から深夜まで営業するカラオケボックスもボーリング場もパチンコもない。日本人が大好きな居酒屋やファミレスのような落ち着いておしゃべりできる場所はない。。ヨセミテ国立公園にハイキング?公園でブランチ?海までドライブ?かといって大して行く当てもない。

なのでアメリカの若者たちはしょうがなく、おっさん達の群がるバーかいちびった若者たちの集まるクラブに行くことになる。
クラブミュージックがガンガンにかかった環境下で、お酒をちびちび飲んで哲学的な話をするなんてような若者はほとんどいないだろう。
じゃあそこで何をして楽しむか。男や女の子を引っ掛けるぐらいしか楽しみなんてないでしょ。「人との繋がりを求めて」なんて口実でしかない気がする。
どうせ男はバカ野郎だから、そんな場所ですら下心なしに女を見ないわけがない。しかし、そんな場所ですら原則2時に閉店する。

ってことでアメリカの若者たちの娯楽はすごく限られたものである。
夜にすることがない土地に共通することがある。
そう、出生率が高いこと。
「24時間眠らない街」の東京に代表されるように日本では多くのお店やエンターテインメント施設が年中無休24時間営業をしている。
深夜でさえも、できることに溢れた環境に私たちは育ってきたのです。そしてもちろん営業しているお店側の人間も多くいる。そりゃ「やる」機会が相対的に減るのにも疑問はない。

まあ無理やり結論を出しますが、
国力を維持するためにはある程度の人口が必要で、若者たちに子供を産んでもらうためには、彼らの娯楽を増やさないこと大事だということ。

日本の人口減ってるっていうけど、これ以上増えても、ただ東京の人口密度が増えるだけで息苦しさが増すだけだと思う。経済的には人口が必要なのだろうけども。。。そこらへんのことはまた別の話題で話そうかなと思います。では

ハロウィンぶりっ子論

 

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2014/10/30 19:34

またこの季節がやってきましたよ。年に一度の仮装大会。

 

欽ちゃんだけにやらせとけっ!って思うような日々です。ええ。

と言うのも私、アメリカに来てから初めてちゃんとハロウィンの文化に触れて、当初はなんて賑やかで楽しいお祭りなんだ!と思ってたわけです。
かわいらしい子供たちは近所を回ってお菓子をもらいに行く。

でも大学生はなんだ。

2年前にイタリア人の友達と初めてクラブパーティーに行ったんです。
そしたら真っ暗闇に爆音でかかる流行りのクラブミュージック。へんなコスプレ野郎達がなんか踊ってる。ヒューヒュー言って、女ひっかけて?!あー、なんだこれ。。

結局、淫らなことするためにあいつらはコスプレをしてヒューヒュー言ってんのかよ。と思われてもなんらおかしくないと思う。そんな目的ではない人が多数だと思うが、そういう人がいる時点でもう嫌。

普段コスプレをしない人が唯一恥ずかしげもなくできる日として、日本でもここ数年で急激に浸透してきてるけど、本当に困る。

自分でかわいいと思ってる女の子が、かわいいと言われる目的でした中途半端なコスプレとメイク。あーかわいいですとも。だからなんなのさ。一番嫌なのは、「とりあえず猫耳族」のお方たち。
そんなあなたたちは中身のない軽い女と見られてますけど、大丈夫ですか? 

薄暗いクラブでまともに見えやしないのにコスプレしていく意味は本当によくわからないから、「モテたい、かわいいと言われたい」以外の理由はあるのかをみなさんに改めてしっかりと考えていただきたいと思う。あなたたちのスタイルをお菓子をもとめる純粋無垢な子供たちに見せられますか?

昼間に公園とかで小規模な音楽フェスティバルがあってそこで家族連れやらカップルやら、大学生が集まって仮装大会するなら微笑ましい雰囲気でいいと思う。

世の女の子たちに告ぐ。
ハロウィンコスプレを機にぶりっ子をするなら、お昼に仲間内だけで頼む。街中での移動中は何か羽織っておいて欲しい。そして決してSNSにアップするでない。

これが私の理想の世の中への第一歩です。ほんま頼みます。

 

好きなことやれ論

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さとり世代、ゆとり世代を渡り歩いてきた僕は学校の先生や親には好きなことをやるようにと言われて育ってきた。

テレビ番組やマンガやミュージシャンも揃って「自分のやりたいことをやれ」と謳ってきた。

好きなことやれっつったっていつまでっても見つからない。

かえって大学なんて行くっていう選択肢がこの弊害を産んでるのではないかと今そう感じている。

そもそも大学はなんのために行くのか。

そんな質問をまともな大学に入っていなかった親に聞いたところ、

「コネを作る場所」と言われた。

社会になるまえにたくさんの人と出会って、社会勉強をするのだと。

 

それだったらなんで数百の選択肢がある学部から一つ選ぶ必要があるのか。

本来は高校卒業後ももっと勉学にいそしみたいと願う人が行く場所なのではないか?

 

ほとんどが中流階級になった時に少子化時代の到来が重なり、大学は門戸を広げすぎていた。

「やりたいことが見つからないからとりあえず大学に入って四年考えてみる」

おそらく大半の人の入学志望動機はそういうだろう。

「大学でなにを勉強すればいいかわからないけど、とりあえず外国人と話してみたいから国際◯◯学部に入ってみた。」

今の大学はそんな生徒にあふれているだろう。

むやみやたらと「グローバル」「国際社会」「ボーダレス社会」という言葉たちを並べた挙句、日本人たちは日本人であることに恥じ、まともな日本語も話すことができずにとりあえず海外に飛び出していく。「オンリーワン」の自分を探し求めて。

そして気付く。4年間ではやりたいことが見つからない。

見つける努力をてなかったからかもしれない。でも見つかるようにサポートすること今一番必要な教育なのではないかと本気で思う。

好きなことをやれと言うなら、まず自分の好きなことは何か、どう生きていきたいかを自らの意思で考えられる子供になれるように教育すること、そして好きなことができる環境を整備すること。

それらをなくしては、これからどんどんにほんの若者たちは路頭に迷う。

何をしていいかわからなくなる。自分のやりたいことがわからなくなって、自分は何が好きなのかもわからない。

夢をなくした子供達であふれた国に未来はない。

ゆく年くる年論

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大晦日ってなんか緊張する。

成長できたって思える年は、いろいろ振り返りながら1日を過ごして、
大して成長できなかった年は最後の1日でなんか挽回できないかと願う。

絶対家で年越したいから、生まれてこの方、大晦日に友達と遊んだことはない。


一番思い出に残ってる大晦日は約15年ほど前の話。
家族4人でエスティマに乗って、お昼頃から箕面温泉スパガーデンに出かけた。
当時珍しかった車に搭載されたテレビで、「探偵ナイトスクープvsクイズ紳助くん」を観ながら。

アイススケートしたっけなー。
そんでそのあと温泉。
当時初めて見た「ザ・めしや」で年越しカレーそばを食べた。
珍しい店で珍しい食べ物になんかワクワクしてた。

今考えたら、悲しい家族だよなー。。
大晦日にザ・めしやてwww
まー、当時は謎に貧乏やったからなー。

商品券生活をしていた時期。
できるだけ安いものを商品券で購入して、できるだけ多くのお釣りを現金でもらう。
いま親に聞いても、あの時の貧乏生活の理由はちゃんと教えてはくれない。

そんな貧乏生活の中での大晦日は楽しかった。
家でゆっくり紅白やらK-1やらを観て、11時頃からはナイナイの年越し特番。
和やかに年を越した。

兄貴が遠くへ行って、ひとりっ子化した高校の頃からは年越し後の1時頃から家族で神社に出かけるパターンが定着した。
カウントダウンの前後は必ずその年にあった出来事を走馬灯のようにして思い出して、出会った人や物事に感謝をする。
多感な時期の自分にはとても意味のある時間だった。

それが3年ほど続いたのだが、突如として戻ってきた、親戚という刺客がおれの大晦日を壊し始めたのだ。

おばあちゃんの作るのっびのびの年越しそば。謎の鯛の丸焼き。みんなで食卓を囲みながらテレビを見るため、今まで牛耳っていたチャンネル権がない。そこが一番辛い。年末にケツをしばかれる男たちなんて見たくない。しかも録画て。
それに親戚が入ると家族の空間とは違うからあんまりくつろげない。

カウントダウン前にはせかせかと外に出る準備をして、あっさりとカウントダウンしたらすぐに真夜中の冬空に飛び出して初詣に出かける。

おれの大事なカウントダウンの余韻よ。
ゆく年くる年の瞬間ってもっと大事にしなきゃだめなんじゃないかと思う今日この頃でございます。

日本の大学生勉強してない論

 

 

 

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自分は5年間アメリカの大学で留学生しているが、日本人学生の言葉にイラつくことがよくある。

留学生はよくこんな前置き分を多用する。
「日本の大学生って勉強しないじゃないですか〜、」

 

はぁ〜!?おまえ、どこ見て言ってんの??


どうせそうやってかしこぶった奴らは所詮、Yahoo!ニュースやら留学経験のあるどこかの誰かさんの記事を見て誰かの意見を自分の中に吸収して実際のところは知らんのに、日本の大学に通う学生すべてを土俵にあげて批判し自らを必死に肯定する愚か者でしかない。


頑張って必死に勉強してる学生もいるやろ!

 

「僕がこの大学で勉強してるほど彼らは頑張ってないと思うんですけど、、」


知らんがなっ!!お前の周りの友達がポンコツ野郎なだけやろww

 

確かに日本の大学の仕組み上、そんなに勉強しなくても卒業できるのかもしれない。
ただ勘違い野郎が多すぎるのにイライラする。


「留学生(自分)=勉強を頑張っている」
「日本の大学生=遊びまくってる」というイメージを脳内に置くのは辞めて欲しい。

 

実際ここに全く勉強していない留学生がいるのだからww