好きなことやれ論
さとり世代、ゆとり世代を渡り歩いてきた僕は学校の先生や親には好きなことをやるようにと言われて育ってきた。
テレビ番組やマンガやミュージシャンも揃って「自分のやりたいことをやれ」と謳ってきた。
好きなことやれっつったっていつまでっても見つからない。
かえって大学なんて行くっていう選択肢がこの弊害を産んでるのではないかと今そう感じている。
そもそも大学はなんのために行くのか。
そんな質問をまともな大学に入っていなかった親に聞いたところ、
「コネを作る場所」と言われた。
社会になるまえにたくさんの人と出会って、社会勉強をするのだと。
それだったらなんで数百の選択肢がある学部から一つ選ぶ必要があるのか。
本来は高校卒業後ももっと勉学にいそしみたいと願う人が行く場所なのではないか?
ほとんどが中流階級になった時に少子化時代の到来が重なり、大学は門戸を広げすぎていた。
「やりたいことが見つからないからとりあえず大学に入って四年考えてみる」
おそらく大半の人の入学志望動機はそういうだろう。
「大学でなにを勉強すればいいかわからないけど、とりあえず外国人と話してみたいから国際◯◯学部に入ってみた。」
今の大学はそんな生徒にあふれているだろう。
むやみやたらと「グローバル」「国際社会」「ボーダレス社会」という言葉たちを並べた挙句、日本人たちは日本人であることに恥じ、まともな日本語も話すことができずにとりあえず海外に飛び出していく。「オンリーワン」の自分を探し求めて。
そして気付く。4年間ではやりたいことが見つからない。
見つける努力をてなかったからかもしれない。でも見つかるようにサポートすること今一番必要な教育なのではないかと本気で思う。
好きなことをやれと言うなら、まず自分の好きなことは何か、どう生きていきたいかを自らの意思で考えられる子供になれるように教育すること、そして好きなことができる環境を整備すること。
それらをなくしては、これからどんどんにほんの若者たちは路頭に迷う。
何をしていいかわからなくなる。自分のやりたいことがわからなくなって、自分は何が好きなのかもわからない。
夢をなくした子供達であふれた国に未来はない。